映画と生活

映画のあるとき 映画のないとき

『静かな生活(1995)』からの学び

近所のインドカレー屋さんへ行きました

こう言っては失礼ですが

どの駅にも一つはありそうな

インド人の方による

大衆的なインドカレー屋さんです

 

注文を終え ナンでカレーを楽しんでいた頃

入口で青年が聞いていました

「普通のカレーありますか?」

普通のってなんでしょうね

「フツウのカレーアリマスヨ」

店員さんは答えました

 

青年はわたしの隣の席に腰掛けます

ソーシャルディスタンスは確保されているので安心です

 

青年と店員さんが会話を交わします

「普通のカレーでお願いします」

「ドチラのセットにシマスカ?」

「普通のセットで」

「デハAランチセットデスネ」

「はいそれでお願いします」

「辛さはドウナサイマスカ?」

「2番で」

 

隣で聞き耳を立てていたぼくはメニューに目をやりました

そこにはこう書いてありました

 

1番 マイルド

2番 普通

3番 ミディアム

4番 スパイシー

5番 ホット

 

そこは普通でええやん

 

そう思いました

カレーは普通においしかったです

 

こんにちは

さて本日はこちら

 

『静かな生活』
1995/日本

 

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A quiet Life 「静かな生活」 - Teaser

 

あらすじはこちら

両親の渡航中に起こる障害者の兄と妹の、波乱に富んだ日常を描いたドラマ。原作は、94年ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の同名の長篇。監督・脚色は「大病人」以来2年ぶりにメガホンを取った伊丹十三。主演は「毎日が夏休み」で数々の新人賞に輝いた佐伯日菜子と、「復讐の帝王」の渡部篤郎。また大江の実子・光の作曲した曲を使用したのも話題になった。

引用元 映画.com

 

伊丹十三と言えば

『お葬式』や『たんぽぽ』、『スーパーの女』などがメジャーかと思いますが

こちらもいやはや素晴らしかった

 

大江健三郎との親戚コンビによる

こちらの作品(たしかそうでしたよね)

 

原作に寄り添いつつも

伊丹十三ならではの

悲哀と美意識が詰まった一本

 

庭の排水溝をまともに掃除できない父親の哀愁

隣家から流れる旋律に耳を澄ます息子の感性

 

秀逸なシーンに差し込まれる

印象に残るセリフの数々

肩を強く叩かれるような

そんな思いで

何度も止めてメモしてしまいました

 

「なんでもない人として生きて なんでもない人として死ぬ」

「限りなくゼロに近いとことで生きてきた人は 限りなくゼロに近いところで死ぬことができる」

「死は階段を一段降りるようなもの」

「死ぬまで生きて そこから 死んでください」

「人間は人間の道具ではない」

 (若干違うとは思いますがすいません)

 

 

娘を「相当な人物」と描写するシーンが多々ありますが

この作品も「相当な作品」かと

あと若かりし渡部篤郎の名演技にも注目です

 

 

さて

この映画による学びは以下の通りです

  • 排水溝の掃除は専門家に任せる
  • 戦ったことは、ちゃんと「戦いました」と言う
  • ぼくたちの生活こそ、静かな生活

 以上