相手を想うこと『陸軍(1944)』
お中元の季節がやってきた。仕事柄、毎年この時期は各お店の繁忙を手伝うべく、西へ東へ応援へ出る。もちろん自分の意思ではなく、社内の決まり事である。久しぶりに一日中接客をしていると、厳しいデパート業界ではあるが、毎年毎年、お中元やお歳暮の申し込みに数多くのお客様がご来店されることには、改めて感謝の気持ちを覚える。
時代は移ろい、価値観も変わる。お中元やお歳暮のような形式ばった行いは、これからの時代、だんだんと減っていくことが予想されている。現実に、ぼくの友人知人で、毎度送っている人は少ない。それでも、毎年思うのは、「相手を想う気持ちの美しさ」である。
「毎年お世話になっているから」
「お子様もおられるからジュースかお菓子にするわ」
「このご時世なので、ハンドソープにしようかしら」
「夏はビールを、冬は日本酒と決めているの」
いずれも共通するのは、相手を想うこと。
相手を想い、喜ぶ顔を想像し、贈り物を送る。
人間関係の基本であり、今後も絶やしてはならない文化だと思っている。微力ではあるが、そのお手伝いをさせていただくデパートの仕事が今のところ気に入っている。
同じ頃、日本経済新聞には、「相聞」という言葉が掲載されていた。相聞とは、互いに相手の様子を尋ねること。消息を通わせ合うこと。いい言葉だ。
古事記の頃から行われるこの相聞こそ、今の時代に必要かもしれない。
先日観た映画に『陸軍』というものがある。戦時を生きた、福岡のある一家の3代にわたる物語。この映画に、相手を想うことの真髄をみた。
『陸軍』
1944/日本
『朝日新聞』に連載された火野葦平の同題名の小説を原作に、幕末から日清・日露の両戦争を経て満州事変・上海事変に至る60年あまりを、ある家族の3代にわたる姿を通して描いた作品である。小説は対米英戦争におけるフィリピン攻略戦までを描いているが、映画では上海事変までを扱っている。
引用元 Wikipedia
戦時映画の傑作。戦意高揚を目的に、軍部から依頼されて制作されたものの、中身は反戦映画。結果、軍部から今作品は大きく否定され、木下監督は、戦争終結まで仕事を失うことになった。この時代にどうしてこんなことができようか。仕事を失おうが、自分が作りたい映画を撮った木下監督には、ただただ敬意しかない。
余りにも有名なラストシーンがある。圧倒的な素晴らしさに息を飲む。文字通り、本当に息を飲んだ。
戦争だろうがなんだろうが、大事なものは我が息子。その心情を浮き彫りにした最後の表情が忘れられない。聞こえる声や残される文字の陰には、こんな表情がたくさんあったのだろう。
相手を想うこと。お中元。相聞。本当にいい心掛けである。
木下監督については、『はじまりのみち』でも描かれており、そちらも合わせて鑑賞をすることをお勧めしたい。加瀬亮演じる木下監督が、彼の母を労わる大変に美しいシーンを見逃してはならない。