映画レビュー『ドライブ・マイ・カー』傷跡を見つめるということ。
昨年劇場で見た本作。カンヌ映画祭では脚本賞を受賞し、その時も大いに盛り上がったが、今ではアカデミー賞の作品賞にノミネートされたということで、連日話題に事欠かない。待ちわびていたDVDも先日届き、早速2回目の鑑賞を終えたので、感想を少し記してみようと思う。果たしてアカデミー賞はどうなるだろうか。賞の結果はどうあれ、ぼくがこの作品を一生大切にしていくことに変わりはない。
1.作品情報
ドライブ・マイ・カー
2021/日本
監督:濱口竜介
2.あらすじ
舞台俳優であり演出家の家福は、愛する妻の音と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう--。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが…。
喪失感と”打ち明けられることのなかった秘密”に苛まされてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。(
3.監督
本作を手がけるのは、『PASSION』『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』など、圧倒的な脚本力と研ぎ澄まされた演出によって現代の映画作家として名高い濱口竜介。国内外で注目を集める彼の商業長編映画2作目は、村上春樹原作の短編に、一部オリジナルストーリーを加えて作り上げた意欲作だ。自ら映画化を熱望したと言われる本作に、期待をせずにはいられない。
4.主要キャスト
家福悠介(西島秀俊)
演出家兼俳優。愛車の赤いサーブ内で、戯曲のセリフと向き合うことを習慣としている。
渡利みさき(三浦透子)
家福悠介の専属ドライバー。悲しい過去を抱えながら、習得した運転技術で生活をつないでいる。
高槻耕史(岡田将生)
性的トラブルでキャリアを棒に振った俳優。出演作の脚本家をつとめた音と親しい関係にある。
家福音(霧島れいか)
家福悠介の妻で脚本家。悠介を愛するも、別の男との関係を持ち、ある日突然、この世から去ってしまう。
5.レビュー(一部ネタバレあり)
夜が終わり、朝が始まる頃。まだ暗さの残る部屋では、裸体の女が言葉を紡いでいた。初恋の人の家に空き巣に入る少女の物語。隣で見つめる男は、いかにもやさしい声でその物語に相槌を打ち、続きを促す。SEXを終えた二人に数年前から時折訪れる、創造の時間だった。翌朝、愛車のサーブを運転する夫に、助手席に座る妻が昨日の話を確認する。淀みなく説明する夫に、あっけらかんと関心する妻。この話の続きはどこに向かうのか、二人は知らない。相手の心を覗き込む、空き巣のような話が始まった。
世界各地での称賛が止まらない本作。ぼくも同様に盛大な拍手を送りたい。村上春樹の短編をベースに、一部オリジナルストーリーを盛り込んだ本作は、喪失を抱えながら生きていく男と女の人生を、極めて詩的に、時には私的に、丁寧に紡いでいる。映画芸術という視点に立つならば、これほどまでに完璧に設計された作品はなかなかお目にかかれることはないと思う。文学的な物語の運び、情感たっぷりのセリフ、洗練された画角と、音楽の選択。どれもため息がこぼれるほどの多幸感を覚えた。こうした貴重な映画体験を提供してくれた、濱口監督、キャスト、スタッフの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいだ。
喪失と再生。真っ先に浮かんでくる本作のテーマは、村上春樹がこれまでに徹底して表現してきたものだ。妻と子を失った家福。母と故郷を失ったみさき。世間体を失った高槻。それぞれの複雑で張り詰めた感情の向かう先を、演出をしながら、運転をしながら、演技をしながら、それぞれが見つめている。誰しもが起こりえる喪失は、誰しもが同じ再生へと向かうわけではない。
鑑賞後、まず思ったことは、本作は傷跡の物語だということだ。傷跡にはさまざまな種類がある。
家福の傷は、我が子の死、妻の浮気。彼は十分に傷ついていた。それでも彼は言う。「ぼくは正しく傷つくべきだった」
みさきの傷は、愛なき家族、故郷の死。彼女も若くして十分に傷ついていた。それでも彼女は言う。「この傷を消す気にはならない」
高槻の傷は、抑制できない暴力と損傷した車。彼は感情を抑えることができず、許せない行為には鉄斎を下し、動揺すれば事故も起こす。それでも彼は言う。「自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか」
それぞれの傷跡は、目に見えるものもあれば目に見えないものもある。過去のものもあれば、未来のものもある。いずれにせよ大差はない。大切なことは、これまで自分でしか触れられなかった傷跡を、心を許す他人に撫でてもらえることだろう。その瞬間、家福は涙を流し、みさきは目を瞑り、高槻は罪を認めた。
既に刻まれた傷跡は消えないし、これからもいくつもの傷跡を残していくだろう。それでもぼくらは生きていく。傷を傷だと認め、他人にそっと触れてもらいながら、自分の心と折り合いをつけていくしかない。
繰り返すが、ぼくはこの作品を一生大切にしていきたいと思っている。父親の愛車がサーブだったことも、少なからず影響しているのかもしれないが。