映画と生活

映画のあるとき 映画のないとき

映画レビュー『HEAT(1996)』なぜあのシーンがすきですきでしょうがないのか。

 

映画史に残る銃撃戦として名の知れた本作。

171分の長尺であることを言い訳に、これまで後回しにしてしまっていたが、

ようやく見ることができた。

背中を押してくれたのは、とある小説だった。

 

1.作品情報

HEAT ヒート

1996/アメリ

監督:マイケル・マン

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https://filmarks.com/movies/31298

2.あらすじ

マイケル・マン監督がアル・パチーノロバート・デ・ニーロというハリウッドの2大名優を主演に迎え、1989 年製作のテレビ映画「メイド・イン・L.A.」をセルフリメイクしたクライムアクション。プロの犯罪者ニール・マッコーリー率いるグループが、現金輸送車から多額の有価証券を強奪した。捜査に乗り出したロサンゼルス市警のビンセントは、わずかな手がかりからニールたちの犯行と突き止め、執拗な追跡を開始する。(映画.com)

 

 


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3.主要キャスト

ヴィンセント・ハナ(アル・パチーノ

 凶悪犯罪を追う刑事。二度の離婚歴がある。

 

ニール・マッコーリーロバート・デ・ニーロ

 犯罪組織のボス。自身の選んだ人生から、生涯独り身を決意。

 

クリス・シヘリス(ヴァル・キルマー

  ニールの仲間。金庫破りと爆破のプロ。

 

マイケル・チェリト(トム・サイズモア

 ニールの仲間。

 

イーディ(エイミー・ブレネマン)

 グラフィックデザイナー。ニールと自然に恋に落ちる。

 

ローレン・グスタフソン(ナタリー・ポートマン

 ヴィンセントの義娘。精神的に不安定な一面も。

 

4.レビュー(一部ネタバレあり)

  手慣れた様子でトラックと仲間を扱い、瞬く間に獲物である輸送車を手中に収める。手下のミスも難なく処理したニール・マッコーリーの所業に、刑事ヴィンセントは「プロの仕事だ」と感嘆する。その晩、人気のない駐車場では、ミスを犯した手下を消すため、ニールは拳を振り上げていた。一瞬の邪魔が入ったその時、横たわっていたはずのニールの足元から、手下の姿は消えていた。

 

 犯罪者と刑事。対極にいるはずのニールとヴィンセントは、結局同じものを抱えていたように思える。それは「孤独」だ。仕事を追求すればするほど、プロフェッショナルであればあるほど、周囲とは一定の距離が生まれ、本人も独りでいることを好むようになる。それは、プライベートでも同様だ。

 

 物語の途中、二人はダイナーで顔を合わせる。ここには、一触即発の緊張感と、ようやく巡り会えたという親近感が同時に存在する。出会う場所によっては、最良のパートナーになっていたとしか思えない二人であったが、「次に会うときは、お互いを躊躇なく殺す」ことを確認し、ダイナーを後にした。孤独を知っているものにしかできない表情を、二人はしていた。

 

 中盤に銃撃戦がある。本作でもっとも有名なシーンだ。ぼくもこのシーンのために、本作を見た。それは、川上未映子氏の小説『あこがれ』の中に、この銃撃戦に関して、このような一節があったからだ。

 

「大事なのは、なぜ、わたしがあのシーンがこんなにすきですきでしょうがないのかってことが、自分でもまったくわからないってとこなんじゃん」

 

 主人公の友達「ヘガティー」という女の子が陶酔するこの『HEAT』の銃撃戦というのは、一体どんなシーンなのだろうか。小説の物語に没入しながら、ぼくは気になって仕方がなかった。図工ではそのシーンを描き、家でも三日に一回は見るというその銃撃戦が、気になって仕方がなかった。

 

 

 これがそのシーンだ。YouTubeで見れるなんて、すごい時代だ。

 


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 いかがだろうか。これほどまでに、銃撃に特化したシーンをぼくは他に知らない。無駄な効果音も、感情を煽るBGMもない。不必要な犠牲者も耳障りな悲鳴もない。あくまでシンプルに、追うものと追われるものの撃ち合い、ただそれだけが画面に映っている。乾いた都市に鳴り響く銃声音が心地よいのは、次々と車に穴が空いていくのが心地よいのは、一体どうしてなのだろうか。女の子が言っている通りだ。自分でもよくわからない。三日に一回は難しいけれど、ぼくもこのシーンは定期的に見返したいと思う。なぜ惹かれるのか、理由を探しに戻ってきたいと思う。

 

 映画は、個人的には、理想的なラスト迎える。憎み合った二人。分かり合った二人。孤独に生きた人生が終わる。孤独に生きた人生が続く。手を握り合うなんて、きっと久しぶりだっただろう。お互いを認め合い、慰め合う、美しい終焉だった。