映画と生活

映画のあるとき 映画のないとき

『香川1区(2021)』勝った51と残り49とは。

 

 小川淳也を世に知らしめた作品『なぜ君は総理大臣になれないのか』からたった1年。大島新監督は、休む間もなく、続編を世に放った。焦点は、2021年秋の衆議院議員総選挙における、香川1区である。全国的に注目されたこの香川1区では、一体何が起こっていたのか。結果が判明している今、その結果に至るプロセスに想いを馳せたい。有権者として、見逃せない物語がここにある。

 

1.作品情報

香川1区

2021/日本

監督:大島新

 

f:id:YUCHIYO:20220228230034p:plain

https://www.kagawa1ku.com

 

2.あらすじ

衆議院議員小川淳也氏(50歳・当選5期)の初出馬からの17年間を追った『なぜ君は総理大臣になれないのか』(2020年公開)は、ドキュメンタリー映画としては異例の観客動員35,000人を超える大ヒットを記録、キネマ旬報ベスト・テンの文化映画第1位を受賞し、NetflixAmazonプレイムビデオなどで配信され、今なお広がり続けている。

続編への期待が寄せられる中、次作に向けて小川議員への取材を続けていたが、この秋に行われた第49回衆議院議員総選挙に焦点を当てた新作ドキュメンタリー『香川1区』の公開を急遽決定。

本作は『なぜ君…』の続編的位置付けとして、いまや全国最注目といわれる「香川1区」の選挙戦を与野党両陣営、各々の有権者の視点から描き、日本政治の未来を考える一作として世に問いかけたい。(映画「香川1区」公式サイト|大島新監督作品


www.youtube.com

3.監督

大島新監督。『園子温という生きもの』『なぜ君は総理大臣になれないのか』など、ドキュメンタリーを主軸に活動。たまたま伺った劇場では、上映後に監督の舞台挨拶があった。本作のテーマを静かに、かつ力強く自身の言葉で語る様子に、すっかりと心を奪われる。監督の目を通して見つめる世界を、これからも追いかけていきたい。

 

 

f:id:YUCHIYO:20220228230029j:plain

https://www.kagawa1ku.com/staff

4.レビュー(一部ネタバレあり)

 玄関を開けると、同級生に一人はいそうな、所謂おじさんが、笑顔で出迎えてくれた。彼とは、立憲民主党の国会議員、小川淳也である。32歳で政治家に転身した時から、50歳になったら、潔く引退すると宣言していた彼も、早いものでもう50歳。総理大臣にはまだなれていないことはもちろん、国会議員としても、まだやり残していることだらけだ。結論、まだ引退はできない。この決断を、国民に伝えるべきか、否か。妻も、次女も、大島新監督まで「別にいいのでは?」と伝え、その言葉が彼を逡巡させる。しかし、一応は熟考してみせるものの、彼の中では最初から答えは出ていた。彼は、自身の判断を伝えるべく、ライブ配信会場へと向かった。

 

 前から、後ろから、隣から。上映中、啜り泣く声が至る所から聞こえてきた。もちろんぼくもその一人だっただろう。前作で多くの観客が感じた、「こんな政治家がいたなんて!」という感情は、本作でさらに高まることになる。

 

 2021年秋、衆議院議員総選挙。カメラは、香川1区を追う。物語の中心は、もちろん小川淳也。これまでの6回の選挙戦では、1勝5敗。厳しい情勢の中、彼には今回も強力な敵が立ちはだかる。まず、一騎討ちが予想されたのは、自民党平井卓也議員だ。四国新聞西日本放送のオーナー一族で、地元では知らぬ人のいない「メディア王」である。サプライズは、突然の立候補で周囲をざわつかせた日本維新の会の町川氏。比例での当選を目指すとしながらも、小川、平井両氏にとっては、厄介な存在だ。このように、物語はより映画度を増していく。

 

 3人の戦いを、カメラはど真ん中から映していた。当たり前だが、選挙における戦いは、立候補者だけのものではない。家族、秘書、後援会、同僚、そしてぼくたち有権者。あらゆる人を巻き込んだ総力戦だ。誰かが笑えば、誰かが泣くし、誰かを応援すれば、誰かを見放すことになる。それが選挙というものだ。

 

 と言いながらぼくも、政治に、ましてや選挙に特別明るいわけではない。人並みに新聞を読み、人並みにニュースを見ているだけで、自身の選挙区以外の立候補者の公約までは把握していない。それでもぼくは、小川淳也を応援する。彼の家族の側に立ち、彼の見る日本の未来を信じる。右も左も関係ない。堂々と中道を行く彼から目を離してはならないと思うから。彼の発する言葉を聞き逃してはならないと思うから。

 

 結果については、周知の通り、小川淳也が一位当選となった。要因は、前作のPR映画のおかげ?平井議員の恫喝トラブル?町川氏の知名度不足?いやいや、どれも見当違いだろう。小川淳也の言葉を、小川淳也の長女の言葉を聞いてほしい。支持されるのは当然だ。

 

「食おうが食うまいが、野党は揃うべきだというのが私の考えです。相手がそれに乗るかどうかは知らない。しかし、お願いするのが間違ってるというのはどういう意味かわからない!」

 これは、小川淳也が、日本維新の会の町川氏に立候補取り下げのお願いに行ったことを、政治ジャーナリスト田崎史郎氏に「間違いだった」と指摘された時の言葉。大島監督も述懐する通り、ここまで感情的になった小川淳也を見たことがない。確かに一見、不躾なように感じられる行いも、彼には彼の揺るぎない想いがあっただけだ。自身の真っ直ぐな信条を、簡単な言葉で否定されるのは我慢できなかったということだろう。ただ、喧嘩したまま終わらないのが小川淳也田崎史郎と別れた直後のタクシーでは、すぐにお詫びの電話を入れる。誰だって言いすぎることはある。しかし、それをすぐに反省し、謝罪できる人間は少ない。彼が愛される理由がわかる一連の流れだ。

 

「アンチの人がいたとしても、お父さんは、話を聞きに行くと思う。何に悩んでいるのか、何に困っているのか、最後まで聞くと思います。お父さんはそういう人なんです」

 これは、選挙応援中の長女の言葉。小川淳也を体現する言葉を、実の娘が当然のように語る様子にぼくは、落涙を抑えきれなかった。観客はみんな同じ気持ちだった。

 

「お父さんが負けるたび、現実世界は、正直者がバカをみるのだと思っていた」

 これは、当選直後の長女の言葉。姉妹二人が小さいころから思っていた言葉。誰よりも正直で信頼できる父が、世間では認められない。この世界は、ずる賢く、要領よく生きていかなければならない。こんな言葉を20代前半の娘に言わせる世界は、間違いなく、間違っている。

 

 「政治っていうのは勝った51がどれだけ残りの49を背負うか。勝った51が勝った51のために政治をしてるんですよ、今」

 これは、当選直後の小川淳也の言葉。この言葉を聞いて、ぼくは本当に自分が恥ずかしくなった。こんな当たり前のことができていなかったから。政治の世界だけではないと思う。勉強だって、スポーツだって、アルバイトだって、社員だって同じ。いつだって争う人がいたし、もちろん勝つ時も負ける時もあった。その時ぼくは、小川淳也のように、負けた相手を背負えていただろうか。負けた相手に自分の想いを託せていただろうか。何より、自分が勝利した直後に、こんな想いを口に出せただろうか。ここでは感情のわからない涙が溢れた。

 

 こんな想いを話す政治家は他にいるのだろうか。事あるごとに、ぼくは彼の言葉を思い出すことになるだろう。

 

 香川1区が全国に広がることを願う。いや、広げなければならないのは、ぼくたちだ。本作のポスターの色を青で埋め尽くす日まで。

 

f:id:YUCHIYO:20220314215051j:plain

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/43/b876ab6ec47fd42615efb0954451725b.jpg