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『香川1区(2021)』勝った51と残り49とは。

 

 小川淳也を世に知らしめた作品『なぜ君は総理大臣になれないのか』からたった1年。大島新監督は、休む間もなく、続編を世に放った。焦点は、2021年秋の衆議院議員総選挙における、香川1区である。全国的に注目されたこの香川1区では、一体何が起こっていたのか。結果が判明している今、その結果に至るプロセスに想いを馳せたい。有権者として、見逃せない物語がここにある。

 

1.作品情報

香川1区

2021/日本

監督:大島新

 

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https://www.kagawa1ku.com

 

2.あらすじ

衆議院議員小川淳也氏(50歳・当選5期)の初出馬からの17年間を追った『なぜ君は総理大臣になれないのか』(2020年公開)は、ドキュメンタリー映画としては異例の観客動員35,000人を超える大ヒットを記録、キネマ旬報ベスト・テンの文化映画第1位を受賞し、NetflixAmazonプレイムビデオなどで配信され、今なお広がり続けている。

続編への期待が寄せられる中、次作に向けて小川議員への取材を続けていたが、この秋に行われた第49回衆議院議員総選挙に焦点を当てた新作ドキュメンタリー『香川1区』の公開を急遽決定。

本作は『なぜ君…』の続編的位置付けとして、いまや全国最注目といわれる「香川1区」の選挙戦を与野党両陣営、各々の有権者の視点から描き、日本政治の未来を考える一作として世に問いかけたい。(映画「香川1区」公式サイト|大島新監督作品


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3.監督

大島新監督。『園子温という生きもの』『なぜ君は総理大臣になれないのか』など、ドキュメンタリーを主軸に活動。たまたま伺った劇場では、上映後に監督の舞台挨拶があった。本作のテーマを静かに、かつ力強く自身の言葉で語る様子に、すっかりと心を奪われる。監督の目を通して見つめる世界を、これからも追いかけていきたい。

 

 

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4.レビュー(一部ネタバレあり)

 玄関を開けると、同級生に一人はいそうな、所謂おじさんが、笑顔で出迎えてくれた。彼とは、立憲民主党の国会議員、小川淳也である。32歳で政治家に転身した時から、50歳になったら、潔く引退すると宣言していた彼も、早いものでもう50歳。総理大臣にはまだなれていないことはもちろん、国会議員としても、まだやり残していることだらけだ。結論、まだ引退はできない。この決断を、国民に伝えるべきか、否か。妻も、次女も、大島新監督まで「別にいいのでは?」と伝え、その言葉が彼を逡巡させる。しかし、一応は熟考してみせるものの、彼の中では最初から答えは出ていた。彼は、自身の判断を伝えるべく、ライブ配信会場へと向かった。

 

 前から、後ろから、隣から。上映中、啜り泣く声が至る所から聞こえてきた。もちろんぼくもその一人だっただろう。前作で多くの観客が感じた、「こんな政治家がいたなんて!」という感情は、本作でさらに高まることになる。

 

 2021年秋、衆議院議員総選挙。カメラは、香川1区を追う。物語の中心は、もちろん小川淳也。これまでの6回の選挙戦では、1勝5敗。厳しい情勢の中、彼には今回も強力な敵が立ちはだかる。まず、一騎討ちが予想されたのは、自民党平井卓也議員だ。四国新聞西日本放送のオーナー一族で、地元では知らぬ人のいない「メディア王」である。サプライズは、突然の立候補で周囲をざわつかせた日本維新の会の町川氏。比例での当選を目指すとしながらも、小川、平井両氏にとっては、厄介な存在だ。このように、物語はより映画度を増していく。

 

 3人の戦いを、カメラはど真ん中から映していた。当たり前だが、選挙における戦いは、立候補者だけのものではない。家族、秘書、後援会、同僚、そしてぼくたち有権者。あらゆる人を巻き込んだ総力戦だ。誰かが笑えば、誰かが泣くし、誰かを応援すれば、誰かを見放すことになる。それが選挙というものだ。

 

 と言いながらぼくも、政治に、ましてや選挙に特別明るいわけではない。人並みに新聞を読み、人並みにニュースを見ているだけで、自身の選挙区以外の立候補者の公約までは把握していない。それでもぼくは、小川淳也を応援する。彼の家族の側に立ち、彼の見る日本の未来を信じる。右も左も関係ない。堂々と中道を行く彼から目を離してはならないと思うから。彼の発する言葉を聞き逃してはならないと思うから。

 

 結果については、周知の通り、小川淳也が一位当選となった。要因は、前作のPR映画のおかげ?平井議員の恫喝トラブル?町川氏の知名度不足?いやいや、どれも見当違いだろう。小川淳也の言葉を、小川淳也の長女の言葉を聞いてほしい。支持されるのは当然だ。

 

「食おうが食うまいが、野党は揃うべきだというのが私の考えです。相手がそれに乗るかどうかは知らない。しかし、お願いするのが間違ってるというのはどういう意味かわからない!」

 これは、小川淳也が、日本維新の会の町川氏に立候補取り下げのお願いに行ったことを、政治ジャーナリスト田崎史郎氏に「間違いだった」と指摘された時の言葉。大島監督も述懐する通り、ここまで感情的になった小川淳也を見たことがない。確かに一見、不躾なように感じられる行いも、彼には彼の揺るぎない想いがあっただけだ。自身の真っ直ぐな信条を、簡単な言葉で否定されるのは我慢できなかったということだろう。ただ、喧嘩したまま終わらないのが小川淳也田崎史郎と別れた直後のタクシーでは、すぐにお詫びの電話を入れる。誰だって言いすぎることはある。しかし、それをすぐに反省し、謝罪できる人間は少ない。彼が愛される理由がわかる一連の流れだ。

 

「アンチの人がいたとしても、お父さんは、話を聞きに行くと思う。何に悩んでいるのか、何に困っているのか、最後まで聞くと思います。お父さんはそういう人なんです」

 これは、選挙応援中の長女の言葉。小川淳也を体現する言葉を、実の娘が当然のように語る様子にぼくは、落涙を抑えきれなかった。観客はみんな同じ気持ちだった。

 

「お父さんが負けるたび、現実世界は、正直者がバカをみるのだと思っていた」

 これは、当選直後の長女の言葉。姉妹二人が小さいころから思っていた言葉。誰よりも正直で信頼できる父が、世間では認められない。この世界は、ずる賢く、要領よく生きていかなければならない。こんな言葉を20代前半の娘に言わせる世界は、間違いなく、間違っている。

 

 「政治っていうのは勝った51がどれだけ残りの49を背負うか。勝った51が勝った51のために政治をしてるんですよ、今」

 これは、当選直後の小川淳也の言葉。この言葉を聞いて、ぼくは本当に自分が恥ずかしくなった。こんな当たり前のことができていなかったから。政治の世界だけではないと思う。勉強だって、スポーツだって、アルバイトだって、社員だって同じ。いつだって争う人がいたし、もちろん勝つ時も負ける時もあった。その時ぼくは、小川淳也のように、負けた相手を背負えていただろうか。負けた相手に自分の想いを託せていただろうか。何より、自分が勝利した直後に、こんな想いを口に出せただろうか。ここでは感情のわからない涙が溢れた。

 

 こんな想いを話す政治家は他にいるのだろうか。事あるごとに、ぼくは彼の言葉を思い出すことになるだろう。

 

 香川1区が全国に広がることを願う。いや、広げなければならないのは、ぼくたちだ。本作のポスターの色を青で埋め尽くす日まで。

 

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映画レビュー『ドライブ・マイ・カー』傷跡を見つめるということ。

 

 昨年劇場で見た本作。カンヌ映画祭では脚本賞を受賞し、その時も大いに盛り上がったが、今ではアカデミー賞の作品賞にノミネートされたということで、連日話題に事欠かない。待ちわびていたDVDも先日届き、早速2回目の鑑賞を終えたので、感想を少し記してみようと思う。果たしてアカデミー賞はどうなるだろうか。賞の結果はどうあれ、ぼくがこの作品を一生大切にしていくことに変わりはない。

 

1.作品情報

ドライブ・マイ・カー

2021/日本

監督:濱口竜介

 

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2.あらすじ

舞台俳優であり演出家の家福は、愛する妻の音と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう--。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが…。

喪失感と”打ち明けられることのなかった秘密”に苛まされてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。(

映画『ドライブ・マイ・カー』公式サイト

 


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3.監督

 本作を手がけるのは、『PASSION』『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』など、圧倒的な脚本力と研ぎ澄まされた演出によって現代の映画作家として名高い濱口竜介。国内外で注目を集める彼の商業長編映画2作目は、村上春樹原作の短編に、一部オリジナルストーリーを加えて作り上げた意欲作だ。自ら映画化を熱望したと言われる本作に、期待をせずにはいられない。

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4.主要キャスト

家福悠介(西島秀俊

 演出家兼俳優。愛車の赤いサーブ内で、戯曲のセリフと向き合うことを習慣としている。

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渡利みさき(三浦透子

 家福悠介の専属ドライバー。悲しい過去を抱えながら、習得した運転技術で生活をつないでいる。

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高槻耕史(岡田将生

 性的トラブルでキャリアを棒に振った俳優。出演作の脚本家をつとめた音と親しい関係にある。

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家福音(霧島れいか

 家福悠介の妻で脚本家。悠介を愛するも、別の男との関係を持ち、ある日突然、この世から去ってしまう。

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5.レビュー(一部ネタバレあり)

 夜が終わり、朝が始まる頃。まだ暗さの残る部屋では、裸体の女が言葉を紡いでいた。初恋の人の家に空き巣に入る少女の物語。隣で見つめる男は、いかにもやさしい声でその物語に相槌を打ち、続きを促す。SEXを終えた二人に数年前から時折訪れる、創造の時間だった。翌朝、愛車のサーブを運転する夫に、助手席に座る妻が昨日の話を確認する。淀みなく説明する夫に、あっけらかんと関心する妻。この話の続きはどこに向かうのか、二人は知らない。相手の心を覗き込む、空き巣のような話が始まった

 

 世界各地での称賛が止まらない本作。ぼくも同様に盛大な拍手を送りたい。村上春樹の短編をベースに、一部オリジナルストーリーを盛り込んだ本作は、喪失を抱えながら生きていく男と女の人生を、極めて詩的に、時には私的に、丁寧に紡いでいる。映画芸術という視点に立つならば、これほどまでに完璧に設計された作品はなかなかお目にかかれることはないと思う。文学的な物語の運び、情感たっぷりのセリフ、洗練された画角と、音楽の選択。どれもため息がこぼれるほどの多幸感を覚えた。こうした貴重な映画体験を提供してくれた、濱口監督、キャスト、スタッフの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

 喪失と再生。真っ先に浮かんでくる本作のテーマは、村上春樹がこれまでに徹底して表現してきたものだ。妻と子を失った家福。母と故郷を失ったみさき。世間体を失った高槻。それぞれの複雑で張り詰めた感情の向かう先を、演出をしながら、運転をしながら、演技をしながら、それぞれが見つめている。誰しもが起こりえる喪失は、誰しもが同じ再生へと向かうわけではない。

 

 鑑賞後、まず思ったことは、本作は傷跡の物語だということだ。傷跡にはさまざまな種類がある。

 

 家福の傷は、我が子の死、妻の浮気。彼は十分に傷ついていた。それでも彼は言う。「ぼくは正しく傷つくべきだった」

 

 みさきの傷は、愛なき家族、故郷の死。彼女も若くして十分に傷ついていた。それでも彼女は言う。「この傷を消す気にはならない」

 

 高槻の傷は、抑制できない暴力と損傷した車。彼は感情を抑えることができず、許せない行為には鉄斎を下し、動揺すれば事故も起こす。それでも彼は言う。「自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか」

 

 それぞれの傷跡は、目に見えるものもあれば目に見えないものもある。過去のものもあれば、未来のものもある。いずれにせよ大差はない。大切なことは、これまで自分でしか触れられなかった傷跡を、心を許す他人に撫でてもらえることだろう。その瞬間、家福は涙を流し、みさきは目を瞑り、高槻は罪を認めた。

 

 既に刻まれた傷跡は消えないし、これからもいくつもの傷跡を残していくだろう。それでもぼくらは生きていく。傷を傷だと認め、他人にそっと触れてもらいながら、自分の心と折り合いをつけていくしかない。

 

 繰り返すが、ぼくはこの作品を一生大切にしていきたいと思っている。父親の愛車がサーブだったことも、少なからず影響しているのかもしれないが。

 

映画レビュー『HEAT(1996)』なぜあのシーンがすきですきでしょうがないのか。

 

映画史に残る銃撃戦として名の知れた本作。

171分の長尺であることを言い訳に、これまで後回しにしてしまっていたが、

ようやく見ることができた。

背中を押してくれたのは、とある小説だった。

 

1.作品情報

HEAT ヒート

1996/アメリ

監督:マイケル・マン

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https://filmarks.com/movies/31298

2.あらすじ

マイケル・マン監督がアル・パチーノロバート・デ・ニーロというハリウッドの2大名優を主演に迎え、1989 年製作のテレビ映画「メイド・イン・L.A.」をセルフリメイクしたクライムアクション。プロの犯罪者ニール・マッコーリー率いるグループが、現金輸送車から多額の有価証券を強奪した。捜査に乗り出したロサンゼルス市警のビンセントは、わずかな手がかりからニールたちの犯行と突き止め、執拗な追跡を開始する。(映画.com)

 

 


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3.主要キャスト

ヴィンセント・ハナ(アル・パチーノ

 凶悪犯罪を追う刑事。二度の離婚歴がある。

 

ニール・マッコーリーロバート・デ・ニーロ

 犯罪組織のボス。自身の選んだ人生から、生涯独り身を決意。

 

クリス・シヘリス(ヴァル・キルマー

  ニールの仲間。金庫破りと爆破のプロ。

 

マイケル・チェリト(トム・サイズモア

 ニールの仲間。

 

イーディ(エイミー・ブレネマン)

 グラフィックデザイナー。ニールと自然に恋に落ちる。

 

ローレン・グスタフソン(ナタリー・ポートマン

 ヴィンセントの義娘。精神的に不安定な一面も。

 

4.レビュー(一部ネタバレあり)

  手慣れた様子でトラックと仲間を扱い、瞬く間に獲物である輸送車を手中に収める。手下のミスも難なく処理したニール・マッコーリーの所業に、刑事ヴィンセントは「プロの仕事だ」と感嘆する。その晩、人気のない駐車場では、ミスを犯した手下を消すため、ニールは拳を振り上げていた。一瞬の邪魔が入ったその時、横たわっていたはずのニールの足元から、手下の姿は消えていた。

 

 犯罪者と刑事。対極にいるはずのニールとヴィンセントは、結局同じものを抱えていたように思える。それは「孤独」だ。仕事を追求すればするほど、プロフェッショナルであればあるほど、周囲とは一定の距離が生まれ、本人も独りでいることを好むようになる。それは、プライベートでも同様だ。

 

 物語の途中、二人はダイナーで顔を合わせる。ここには、一触即発の緊張感と、ようやく巡り会えたという親近感が同時に存在する。出会う場所によっては、最良のパートナーになっていたとしか思えない二人であったが、「次に会うときは、お互いを躊躇なく殺す」ことを確認し、ダイナーを後にした。孤独を知っているものにしかできない表情を、二人はしていた。

 

 中盤に銃撃戦がある。本作でもっとも有名なシーンだ。ぼくもこのシーンのために、本作を見た。それは、川上未映子氏の小説『あこがれ』の中に、この銃撃戦に関して、このような一節があったからだ。

 

「大事なのは、なぜ、わたしがあのシーンがこんなにすきですきでしょうがないのかってことが、自分でもまったくわからないってとこなんじゃん」

 

 主人公の友達「ヘガティー」という女の子が陶酔するこの『HEAT』の銃撃戦というのは、一体どんなシーンなのだろうか。小説の物語に没入しながら、ぼくは気になって仕方がなかった。図工ではそのシーンを描き、家でも三日に一回は見るというその銃撃戦が、気になって仕方がなかった。

 

 

 これがそのシーンだ。YouTubeで見れるなんて、すごい時代だ。

 


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 いかがだろうか。これほどまでに、銃撃に特化したシーンをぼくは他に知らない。無駄な効果音も、感情を煽るBGMもない。不必要な犠牲者も耳障りな悲鳴もない。あくまでシンプルに、追うものと追われるものの撃ち合い、ただそれだけが画面に映っている。乾いた都市に鳴り響く銃声音が心地よいのは、次々と車に穴が空いていくのが心地よいのは、一体どうしてなのだろうか。女の子が言っている通りだ。自分でもよくわからない。三日に一回は難しいけれど、ぼくもこのシーンは定期的に見返したいと思う。なぜ惹かれるのか、理由を探しに戻ってきたいと思う。

 

 映画は、個人的には、理想的なラスト迎える。憎み合った二人。分かり合った二人。孤独に生きた人生が終わる。孤独に生きた人生が続く。手を握り合うなんて、きっと久しぶりだっただろう。お互いを認め合い、慰め合う、美しい終焉だった。

 

映画レビュー『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち(2020)』好きか、嫌いか。

 

1.作品情報

ヘルムート・ニュートンと12人の女たち
Helmut Newton - The Bad and the Beautiful
2020/ドイツ

 

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https://helmutnewton.ayapro.ne.jp/images/top_sp_bg.jpg

 

2.レビュー

 写真を見て、感想を求められる時、自身の語彙力の無さに嫌気がさす。好きか嫌いかならすぐ言えるのに。

 

 例えば好きな場合、それはモデルが美人だからかもしれないし、ライティングが洒落てるからかもしれない。モノクロがクールなのかもしれないし、構図が精緻なのかもしれない。専門的なことは分からないが、それらの要素のどこかに惹かれ、ぼくはその写真のことが好きなのだと思う。それらの要素のどこかに惹かれ、ぼくは写真を見ることが好きなのだと思う。

 

 一昨年、生誕100周年を迎えた、ヘルムート・ニュートン。彼のドキュメンタリー映画を見た。好きか嫌いか。自身の感情の確認に、映画館へ向かった。

 

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 好きだった。

 

 

 モデルが、ライティングが、モノクロが、構図が、好きだった。そして何より、ヘルムート・ニュートン本人がとても魅力的なおじさまだったことに好感を持った。

 

 彼に撮られるモデルの多くは、服を着ていない。服を着ていないのに、いや、服を着ていないから、彼女たちは、誰よりも堂々とカメラの前に立っていた。シャーロット・ランプリングが、イザベラ・ロッセリーニが、マリアンヌ・フェイスフルが、グレイス・ジョーンズが、彼との思い出を楽しげに語り、彼を手放しで褒め称えた。それもそのはずだ。彼による彼女たちの写真を、彼女たちが撮られるさまを見て欲しい。

 


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 ヘルムート・ニュートンは言う。

 

 「写真家にとって汚い言葉が2つある。一つは、”アート”。もう一つは”センスがいい”。」

 

 

 写真を見て、感想を求められる時、自身の語彙力の無さに嫌気がさす。好きか嫌いかならすぐ言えるのに。

 

 でも、これでよいのかもしれない。

 

 同時刻、鑑賞していたのはぼくを入れて5人だった。鑑賞後、パンフレットを買いに行ったら売り切れていた。「これはシンプルに発注の不足では?」という不満を押し殺し、駅へ下る坂へ向かった。下っている途中、ばったり昔の恋人に会った。お互いにさっきまで映画を見ていたことが分かり、「ポケモン?ねえねえポケモン?」と聞かれた。「ポケモンではない」と答えて、僕たちは別れた。2度目の別れだった。

映画レビュー『サマーフィルムにのって(2020)』映画を未来につなぐ、夏。

1.作品情報

サマーフィルムにのって

2020/日本

監督:松本荘史

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https://movies.yahoo.co.jp/movie/374080/

 

 味わうべき旬を大きく過ぎしてしまってはいるが、昨年の話題作が近くで公開されていることを知り、いざ下高井戸へ。体からこぼれ落ちて久しい青春を、少しでも取り戻すために。

 

2.あらすじ

 勝新を敬愛する高校3年生のハダシ。 
 キラキラ恋愛映画ばかりの映画部では、撮りたい時代劇を作れずにくすぶっていた。 
 そんなある日、彼女の前に現れたのは武士役にぴったりな凛太郎。 
 すぐさま個性豊かな仲間を集め出したハダシは、 「打倒ラブコメ!」を掲げ文化祭でのゲリラ上映を目指すことに。 
 青春全てをかけた映画作りの中で、ハダシは凛太郎へほのかな恋心を抱き始めるが、 彼には未来からやってきたタイムトラベラーだという秘密があった――。

 (https://phantom-film.com/summerfilm/#story


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3.監督

 本作を手がけるのは、松本荘史。CM、MV、ドラマなどの映像監督としてご活躍とのことで、代表作に、ドラマ『青葉家のテーブル』がある。(映画化もされている。もちろん見た。)

 映画初監督という本作に、胸が躍る。

 

4.主要キャスト

ハダシ(伊藤 万理華)

 時代劇オタクで本作の主役。映画部に所属しているが、自分の撮りたい時代劇がつくれず、くすぶっている。

 

凛太郎(金子 大地)

 ハダシの理想の武士。映画出演のオファーを受けるも、彼は未来からタイムトラベルしてきたという秘密を抱えている。

 

ビート板(河合 優実)

 天文部所属のハダシの幼なじみ。時代劇のことはよくわからないが、SFの知識に関しては一級品。

 

ブルーハワイ(祷 キララ)

 剣道部所属のハダシの幼なじみ。殺陣に詳しく、ハダシの映画作りをサポート。姉御肌な一方、最近はラブコメが気になって仕方がない。

 

花鈴(甲田 まひる

 映画部のお姫さま。ハダシ案を大差で退け、文化祭では自作自演のラブコメを上映予定。かわいすぎる見た目とキャラクターで全部員を魅了している。

 

5.レビュー(一部ネタバレ)

 「お前のこと、好きだわー!」

 晴天の下、校舎の屋上から男子高生の甘ったるい告白が鳴りひびく。声を受けとった女子高生花鈴は満足気に微笑みながら言う。

 「聞こえないー!」

 今年の文化祭で上映予定の「大好きってしかいえねーじゃん」の編集カットに、映画部一同は歓喜していた。ただ一人、時代劇フリークのハダシを除いて。

 

 冒頭は想定外にキラキラしていた。本音を言えば、少し戸惑った部分もある。だが、それは杞憂に終わった。ハダシの視線に、「もうやってられない」という冷淡と同時に、「映画はこんなもんじゃない」という情熱を見たからだ。彼女が巻き返すものがたりはここから始まる。

 

 「花鈴たちがつくるラブコメを凌駕する時代劇をつくり、文化祭を奪い取る」

 

 とはいえ、こんなありきたりなストーリーを想像してしまった自分を愚かだと思う。たしかに、このような反発心が作品内には芽生えていた。仲間が集い、「打倒花鈴!」になっていた。だが、対立構造に見せかけて進む本作の内側では、「映画を未来につなぐ」という「愛」が大事に育まれていた。

 

 現在と過去と未来は、言うまでもなくつながっている。

 

 「ザ・青春!」という顔をした高校生たちが、思い思いに自主映画を撮る、現在。

 勝新の『座頭市』や三船の『椿三十郎』に想いを馳せる、過去。

 タイムトラベルで現れた凛太郎を通して知る、これからの映画が辿るかもしれない、未来。

 

 それぞれ異なる時間軸を見つめる地点は、あくまで現在だ。過去への回想も、未来への想像も、映像で魅せるのではなく、できるだけ言葉で、もしくは対話で表現する方を選ぶ。過去と未来は、現在があってはじめて成立することに気付かされる。

 

 

 終盤、ハダシは、凛太郎の話す映画の未来に困惑する。未来には今の形での映画は残っていないと聞いたからだ。

 

 撮影をすっぽかし、絶望するハダシ。追いかける凛太郎。2人はぶつかり合い、言葉を投げ交わす。飾り気のない言葉は、静かにぼくの胸を打つ。ラブコメ風に煙に巻いているが、見逃してはならないシーンだ。

 

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 映画を未来につなぐには、どんな時代でも仲間が必要だ。本作には、ハダシを支える仲間が数多く登場する。その仲間がまた格別だった。

 

 ビート板は、持ち前のSF知識で応戦する。必死にiPhoneを構え、ハダシのイメージをカメラにおさめていく。あだ名の由来が気になって仕方がないが、おそらく運動音痴な彼女は、ビート板なしでは泳げないのであろう。

 

 あだ名が気になるのはブルーハワイもまた同じ。かき氷のオーダーが影響していると考えるのは、やや安直か。彼女は、剣道部の経験をいかした殺陣の指導で存在感を発揮する。想定外のラブコメ推しは、彼女の人間的魅力をさらに高めたはずだ。

 

 凛太郎はとにかくまっすぐだ。断り続けていた映画出演も、出ると決まれば、前のめりに演技指導を求める。誰もが思う。「武士の青春」は、あなたしかいない。

 

 ハダシを中心に、仲間はさらに集まった。あだ名そのままのダディーボーイ、デコチャリを乗りこなす小栗、野球部補欠の駒田と増山がユーモア満載で脇を固める。

 

 ハダシを囲む、7人誰が欠けてもいけないし、7人の仲間という設定もまた憎い。

 

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 映画のラストシーンは、「武士の青春」のラストシーンでもある。ハダシたちは無事映画をつくることができたのか?武士と青春に別れは必要なのか?映画は未来につづいていくのだろうか?

 結末は自身の目で確認してほしい。

 ハダシが残した青い足跡を。映画愛に満ちたこの夏を。

 

映画レビュー『ハウス・オブ・グッチ(2022)』緊張と緩和。悲劇で、喜劇。

1.作品情報

ハウス・オブ・グッチ

Houe of Gucci

2021/アメリ

監督:リドリー・スコット

 

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https://house-of-gucci.jp

 

 イタリアが誇るラグジュアリーブランド「GUCCI(グッチ)」。

 

 「GG パターン」や緑と赤のシンボルカラーは、ブランドが誇るアイコンとして、世界中で多くの人に愛されている。ここ数年は、デザイナーの「アレッサンドロ・ミケーレ」の圧倒的なクリエイティブセンスによって、日本でも行列になる商品も多い。

 

 今回は、そんなブランド「グッチ」の御家騒動をめぐる映画『ハウス・オブ・グッチ』が公開されたので、早速見に行ってきた。本業では、ファッションを扱っているので、勉強もかねて。

 

2.あらすじ

 貧しい家庭出身だが野心的なパトリツィア・レッジャーニ(レディー・ガガ)は、イタリアで最も裕福で格式高いグッチ家の後継者の一人であるマウリツィオ・グッチアダム・ドライバー)をその知性と美貌で魅了し、やがて結婚する。

 しかし、次第に彼女は一族の権力争いまで操り、強大なファッションブランドを支配しようとする。

 順風満帆だったふたりの結婚生活に陰りが見え始めた時、パトリツィアは破滅的な結果を招く危険な道を歩み始める…。(https://house-of-gucci.jp


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3.監督

 本作を手掛けるのは、『エイリアン』『ブレードランナー』『オデッセイ』など代表作の数知れない映画監督リドリー・スコット。『最後の決闘裁判』が公開されて間もないが、あっというまに最新作が登場した。なんと、御年84歳。働きすぎが心配だが、まだまだ働いてほしい気持ちでもある。どうか健康に。

 

4.主要キャスト

ルド・グッチ<創業者の次男>(アル・パチーノ

 商才に優れ、NYに支店を出すなど海外進出を積極的に行い、グッチを拡大した人物。

 

ロドルフォ・グッチ<創業者四男>(ジェレミー・アイアンズ

 女優の妻亡き後、1人息子を溺愛している。マウリツィオとパトリツィアの結婚に反対する。

 

マウリツィオ・グッチ<ロドルフォの息子>(アダム・ドライバー

 パトリツィアとの結婚によって父親に勘当され、パトリツィアの実家の家業を手伝うが、父親と和解後グッチの経営の中心に。

 

パトリツィア・レッジャーニ<マウリツィオの妻>(レディー・ガガ

 輸送業を営む家に生まれる。パーティで会ったマウリツィオと結婚。アルドやパオロを追いやろうとするなど、グッチを取り仕切る存在になっていく。

 

パオロ・グッチ<アルドの息子>(ジャレッド・レト

 独特のデザインセンスでブランドの新たな路線をつくろうとするが、経営面ではお荷物となる。

 

ピーナ・アウリエンマ<占い師>(サルマ・ハエック

 TVCMを見て電話をかけてきたパトリツィアから数々の悩みを聞き、占いで忠告を与える。

("https://house-of-gucci.jp"に加筆)

 

5.レビュー(一部ネタバレあり)

 穏やかな笑みを浮かべながら、男はカフェのテラスでタバコを燻らせる。三代目としてグッチを率いるその男は、長年の相棒であろう淡いグレーのチェスターコートを羽織り、颯爽と帰路についた。ゆるやかに下る自転車を止めることなく守衛に引き渡し、我が家へ上る途中、男は背後から声をかけられた。「グッチさん?」

 

 陽気に始まったものがたりは、この後どこへ向かうのか。

 

 本作では、華やかなブランドビジネスの裏側にある、泥ついたファミリービジネスの光と影に焦点を当てる。

 

 光は美しい。

 ウインドーショッピングで眺めてきたきらびやかなグッチたちが、画面一杯に溢れている。ゴッドファーザーでしかないアルドの色味。フレンチシックを思わせるロドルフォの品。マウリツィオのスマートなスタイルに、もはや円熟味しかないパトリツィアのルック。うっとりしながら画面の中の光を眺めていた。

 

 一方、影は生々しい。

 ラストネームがグッチであることに気づいたときのパトリツィア。そんなパトリツィアの腹の底を見抜いたロドルフォ。ロドルフォからも、実父のアルドからも相手にされないパオロ。そんなパオロを悲しげに見つめるマウリツィオ。光がまばゆすぎるから、影はより一層深くなる。

 

 光と影に、緊張と緩和を覚える。それは、悲劇で、喜劇でもある。

 

 対比されるはずの出来事や感情は、スムーズに入れ替わるものがたりの主役によって、観客を迷子にさせる。喜んでいたはずの状況に狼狽え、落ち込んでいたはずの事件に歓喜する。世界は違えど、想像が容易なために、一族が向かう未来をどのように祈るべきか逡巡する。ぼくらは答えを知っているのに。

 

 フリーズする僕たちを溶かすのは、ほんのすこしのユーモアだ。

 スポーツよりも激しい事務所での情事。義父にへし折られたプライドの反動。出所後早々の洗い物。

 高貴な一族による人間的衝動は、ときに可笑しく、ときに愛しい。

 

 「ものがたりには、始まりと終わりがある」

 

 一族は今、グッチの経営に参画していない。

 だからだろう、このものがたりは今もまだ続いている。

 映画の続きを見たければ、グッチののれんをくぐりに行こう。

 もちろん、グッチ夫人の気持ちを胸に抱いて。

相手を想うこと『陸軍(1944)』

 お中元の季節がやってきた。仕事柄、毎年この時期は各お店の繁忙を手伝うべく、西へ東へ応援へ出る。もちろん自分の意思ではなく、社内の決まり事である。久しぶりに一日中接客をしていると、厳しいデパート業界ではあるが、毎年毎年、お中元やお歳暮の申し込みに数多くのお客様がご来店されることには、改めて感謝の気持ちを覚える。

 

 時代は移ろい、価値観も変わる。お中元やお歳暮のような形式ばった行いは、これからの時代、だんだんと減っていくことが予想されている。現実に、ぼくの友人知人で、毎度送っている人は少ない。それでも、毎年思うのは、「相手を想う気持ちの美しさ」である。

 

「毎年お世話になっているから」

「お子様もおられるからジュースかお菓子にするわ」

「このご時世なので、ハンドソープにしようかしら」

「夏はビールを、冬は日本酒と決めているの」

 

 いずれも共通するのは、相手を想うこと。

 相手を想い、喜ぶ顔を想像し、贈り物を送る。

 人間関係の基本であり、今後も絶やしてはならない文化だと思っている。微力ではあるが、そのお手伝いをさせていただくデパートの仕事が今のところ気に入っている。

 

 同じ頃、日本経済新聞には、「相聞」という言葉が掲載されていた。相聞とは、互いに相手の様子を尋ねること。消息を通わせ合うこと。いい言葉だ。

 古事記の頃から行われるこの相聞こそ、今の時代に必要かもしれない。

 

 先日観た映画に『陸軍』というものがある。戦時を生きた、福岡のある一家の3代にわたる物語。この映画に、相手を想うことの真髄をみた。

 

『陸軍』
1944/日本

 

朝日新聞』に連載された火野葦平の同題名の小説を原作に、幕末から日清日露の両戦争を経て満州事変上海事変に至る60年あまりを、ある家族の3代にわたる姿を通して描いた作品である。小説は対米英戦争におけるフィリピン攻略戦までを描いているが、映画では上海事変までを扱っている。

 

引用元 Wikipedia

 

 

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陸軍(予告)

 

 

 戦時映画の傑作。戦意高揚を目的に、軍部から依頼されて制作されたものの、中身は反戦映画。結果、軍部から今作品は大きく否定され、木下監督は、戦争終結まで仕事を失うことになった。この時代にどうしてこんなことができようか。仕事を失おうが、自分が作りたい映画を撮った木下監督には、ただただ敬意しかない。

 

 余りにも有名なラストシーンがある。圧倒的な素晴らしさに息を飲む。文字通り、本当に息を飲んだ。

 戦争だろうがなんだろうが、大事なものは我が息子。その心情を浮き彫りにした最後の表情が忘れられない。聞こえる声や残される文字の陰には、こんな表情がたくさんあったのだろう。

 

 相手を想うこと。お中元。相聞。本当にいい心掛けである。

 

 木下監督については、『はじまりのみち』でも描かれており、そちらも合わせて鑑賞をすることをお勧めしたい。加瀬亮演じる木下監督が、彼の母を労わる大変に美しいシーンを見逃してはならない。

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映画『はじまりのみち』予告編