映画と生活

映画のあるとき 映画のないとき

髪の毛と『チチを撮りに(2013)』

 髪の毛が荒れている。痛んでいるという意味よりは、伸びっぱなしで、整えられていないという意味合いだ。元々、サラリーマンにしては長めの髪であること(耳はもう10年以上出していない。だからどうした)に加え、パーマをあてること早10年。幸にして毛量があることを武器にして、カーリーヘアーを自身のパーソナリティーとして保ってきた。(会社では、ちりちり。くるくる。モジャくん。などと呼ばれている。親しみがこもっていると思っている。そうだと信じている)

 

 自粛期間、もちろんなかなか美容院には行けない。髪は自粛を知らずぐんぐん伸びる。(もはや生えてることがありがたいが)古着屋でアルバイトをしている大学生のように伸びた髪。セルフカットを試したり、センター分けをしてみたり、色々と試行錯誤をしていると、緊急事態宣言は終わった。

 

 いつもの美容院で、いつものカットとパーマを。うんいつもの仕上がりだ。翌日、久々に出社をすると次々に言われる。

 「髪、相変わらずだね。美容院行けないもんね。」

 「伸び散らかしてるな。そろそろ切れば?」

 こう言われては、昨日切りました、とは言い出せないものである。いつも通り切って、整えたつもりでも、結局パーマでぼさぼさしているので、久しぶりに会う人にとっては、整っているようにはまったく見えないのだな。滝藤賢一さんみたいなはずなんだけどな。(髪型だけでもせめて)

 

 ということで、滝藤賢一さんで思い出すのは、こちら。(無理やり感すごいな)

 

チチを撮りに
2012/日本

 

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映画『チチを撮りに』予告編

 

あらすじはこちら

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2012で監督賞を受賞した家族ドラマ。フリーターの姉・葉月と女子高生の妹・呼春は、父親が14年前に女を作って出て行ってしまって以来、母の佐和と3人で暮らしていた。ある日、佐和から「お父さんがもうすぐ死ぬから会いに行って、ついでにその顔を写真に撮ってきてほしい」と頼まれた姉妹は、困惑しながらも、ほとんど記憶に残っていない父親に会いたい気持ちもあり、電車を乗り継ぎ父親のいる田舎町へやってくる。2人はそこで、異母兄弟の少年や叔父に出迎えられるが、すでに父は他界しており、さらに思いがけない人生の修羅場に遭遇する。

引用元 映画.com

 

 「湯が沸かすほどの熱い愛」で知られる中野量太監督の初期の一本。共感し、微笑み、涙する、彼の家族モノとしては、こちらも見逃せない一本だ。

 

 タイトルにある、チチとは、残念ながら乳ではなく、父。お父さんだ。遠い昔、他所に女性をつくって出ていった父が、どうやらもうそろそろ死ぬらしい。連絡を受けた母は、娘たちに、最後に写真でも撮ってきてと頼む。姉妹は新しいデジカメを携えて、父の病院へと向かう。

 

「シーンと目的ってなに?」

 道中、初めて扱うデジカメに触れながら、姉妹の会話にこんな言葉がある。

 たしかに、デジカメには数多くの撮影するシーンと対象を規定する目的が選択肢として用意さされていたのを思い出す。

 

 晴れた日に、スポーツを。

 雨の日に、植物を。

 夜に、景色を。

 こんなところだろうか。

 今回の場合は、

 病院で、死ぬ直前の父を。

 もちろんそんな選択肢があるはずもない。大事なことは、この言葉によって、この旅の本質を考える機会が与えられたということだ。姉妹もぼくも頭を悩ます。

 

 出発前、道中、旅先、帰宅後。

 4つのシュチュエーションを経て得られる母娘の関係性は、家族の幹を、太く強く、揺るぎないものにする。そこには、観るものに共感と感動を、そしてほんの少しの憧れを残していく。いい映画だったなと感じさせる。

 

 旅先にて、父の弟を演じる滝藤賢一さんがいる。再見すると、記憶とは曖昧なもので、ここでの滝藤賢一さんの髪型は、いたって普通であった。荒れ果てた、くるくるヘアーではなかった。つまり、ぼくと同じ髪型ではなかった。いい加減、髪型変えようかなと思った。

映画館で映画を観るということ『デッド・ドント・ダイ(2019)』

 映画館に行ってきた。再開したらすぐにでも行こうと思っていたのに出遅れた。タイミングが悪く仕事が繁忙期に入ったからだ。でも、仕事がちゃんとあり、さらには忙しいということはありがたいことだ。とやかくは言うまい。

 

 再開が決まる中、復帰作は何が良いか考えていた。見たい作品は無限にある。でもなんとなく、もう一度改めて映画と向き合うことになるこのタイミング。大事な作品を選びたい。

 

 往年の名作が再上映されている。期待の新作も目白押しだ。

 数日の熟考の上、選んだのはこちら。

 

『デッド・ドント・ダイ』

The Dead Don't Die
2019/スウェーデンアメリカ合作

 

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ジム・ジャームッシュのゾンビ映画『デッド・ドント・ダイ』予告編

 

 公開が延期になっていた今作。日本中が楽しみにしていた今作。奇才で鬼才。ジム・ジャームッシュの新作だ。しかも内容はゾンビもの。ジム・ジャームッシュが手がけるゾンビ映画なんて、想像するだけで鼻息が荒くなってくる。

 

 ゾンビ。死者が蘇る。再び、立ち上がる。

 映画館はまさに今、再び立ち上がろうとしているし、ぼくも再び映画館を彷徨おうとしている。うん、復帰作にはこれしかない。

 

 あらすじはこちら。

 

鬼才ジム・ジャームッシュビル・マーレイアダム・ドライバーを主演にメガホンをとったゾンビコメディ。アメリカの田舎町センターヴィルにある警察署に勤務するロバートソン署長とピーターソン巡査、モリソン巡査は、他愛のない住人のトラブルの対応に日々追われていた。しかし、ダイナーで起こった変死事件から事態は一変。墓場から死者が次々とよみがえり、ゾンビが町にあふれかえってしまう。3人は日本刀を片手に救世主のごとく現れた葬儀屋のゼルダとともにゾンビたちと対峙していくが……。ジャームッシュ作品常連のマーレイ、「パターソン」に続きジャームッシュ組参加となるドライバーのほか、ティルダ・スウィントン、クロエ・セビニー、スティーブ・ブシェーミトム・ウェイツ、セレーナ・ゴメス、ダニー・クローバー、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズイギー・ポップらが顔をそろえる。2019年・第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。

 

引用元 映画.com

 

 映画館に着く。何度となくお世話になっている、新宿バルト9。1階の発券機は密を避けるためか、使用停止。上階のロビーへ向かう。安心すべきか、悲観すべきか、ロビーにいるお客さんは数えられる程度だ。予約のチケットを発券する。消毒と検温を済ませ、劇場へ向かう。トイレに行く。体調を整え、我が座席へ向かう。座席はもちろん、ソーシャルディスタンス。

 密閉空間だとしても、皆が劇場の対策に従い、マナーを守れば、はっきりいって、映画館での感染の心配は皆無だと思う。映画館の皆様、安全に運営していただき、ありがとうございます。安心して映画に集中できる環境に感謝しかない。

 

 予告編が終わる。間もなく本編が始まるであろうこの瞬間。照明が徐々に落ちていくこの瞬間。暗闇が訪れた時、改めて思う。体がこの空間を欲していたことを。この幸福な暗闇を欲していたことを。ああ、これだ。ぼくは、映画館で映画を観ることが好きだ。

 

 幸福な104分はあっという間に過ぎ去った。

 

 まさにジム・ジャームッシュゾンビ映画だった。それだけでもう十分。大きな感動も笑いも衝撃もない。でもそれは今までだって同じだ。何も文句はない。

 

 唐突にゾンビは現れる。だが、そこに緊張感も何もない。かと思って水を飲みながら油断していると、急に目を背けたくなるシーンが差し込まれる。しかも何度か繰り返す。次にどうなっていくのか分からない。まったく掴みどころがない。これこそ、ジム・ジャームッシュ 。ゾンビだろうがなんだろうが、どんな素材も彼の調理で唯一無二の味となる。そんな展開の中、要所要所で流れるこの作品の主題歌。テーマ曲はみんなが大好きだ。この描写には驚いた。(観た人には分かる)もしかして。。物語の後半、いい意味で予感は的中する。あらゆる境界も垣根も、こっそりと、いや堂々と超えていく。意外な展開に、ぼくたち観客はニヤつくほかない。

 

 どうやら賛否がある作品らしい。ぼくはもちろん賛の側だ。と言っても、ぼくは基本的にあらゆる映画に賛の立場であるが。

 

 もちろんすべての伏線に気付けないし、ストーリーは既視感があるし、最後は唐突に終わるし。だからといって別にいい。ちょっと分からないぐらいがちょうどいい。そもそも他人が考えたこと全てを理解しようなんて、図々しいことだ。ぼくは、ジム・ジャームッシュが手掛けたゾンビ映画を映画館で観れる時代に生きていることだけで満足だ。

 

 お客さんは少なかった。

 再開したといっても、映画館にとって厳しい状況に変わりはない。

 それでも映画館は再び立ち上がる。ゾンビのように何度でも。

USBと『おいしい家族(2019)』

 USBにはTYPE AとCがある。みなさん、ご存知だろうか。もちろん知ってるし、使いこなしている人もいるだろう。でも、知らないし、これからGoogle先生に聞く人もいるかもしれない。そもそも知りたくないし、興味もない人もいるだろう。ぼくはというと、ちょっとは知ってるけど細かいことは分からず、もちろん使いこなしてはいないという立場だ。

 

 テレワーク期間に始めたランニングをより快適にするために、AirPods Proを購入した。こんな時こそネットで購入すればいいものを、1万円を超えるような商品は自分の目で実際に見ないことには買えない性分が発動し、不要不急ではないと自分に言い聞かせ、こっそり家電屋さんへ。わざわざ行った割には、即決してそそくさと帰宅。だったらネットでもよかったのでは?という突っ込みには耳を塞ぐしかない。いずれにせよ、ついに手に入れたという高揚感を胸に、スキップして持ち帰り、早速使用開始。ペアリングも快適だ。数分楽しんだところで、いざ充電しようとすると、手持ちの穴にはうまく入らない。家中の穴を試すも入らない。そういうことか。これがTYPE Cということか。罠にかかってしまった。(全くもって罠ではない。)

 

 Amazonでは、このような人のために、ちゃんと変換器?アダプター?みたいなのが売られており、秒でポチ。このような商品はネット通販に限る。翌日には無事に自宅へ届けられ(配達の方への敬服しかない)ついにTYPE Cのデビューを飾る。

 

 何となくその時考えたのは、USBって何だろうかということ。どうやらこれからTYPE Cが主流になっていくとのことらしいが、一体これまでのTYPE Aとどう違うのだろう。調べてみる。

 まずUSBとは、こういうことらしい。

 

ユニバーサル・シリアル・バス(英: Universal Serial Bus、略称:USB、ユーエスビー)は、コンピュータ等の情報機器に周辺機器を接続するためのシリアルバス規格の1つである。

引用元 Wikipedia

 

 なるほど。シリアル・バスは初耳だが何となく理解している通りだ。調べるまでもなかったか。それでは、TYPE A とTYPE Cの違いは何だろうか。ざっくりと調べてみる。ざっくり。

 

 TYPE A:いわゆる一般的なタイプ。(雑)ほぼ全てのPCに搭載。長方形型。上下の区別あり。

 TYPE C:スマホMacBook搭載のやつ。(雑)速度が速い。薄型長方形。上下の区別なし。

 

 なるほど。とりあえず僕のMacBookは古いからだろうか、TYPE Cは搭載されていなかった。まあそれはいい。TYPE Cの方が良いということは分かった。でも機能が良くなったことより何よりも、ぼくは上下の区別がないところに好感を持っている。好きなタイプだ。

 

 USB TYPE Aはテレワークでもオフィスでも仕事でもプライベートでも何かしら使うことが多い。でも差し込みの時、必ずこうはならないだろうか。

 とりあえず刺す。刺さらないから上下逆にして刺す。それでも刺さらないから最初の向きに戻して刺す。難なく刺さる。

 

 何だろうかこの無駄な時間は。人生に無駄な時間はないと思っているタイプなのだが、この時間だけは心底無駄だと思っている。

 

 上下の区別はない方がいい。

 自由に、やりたいように過ごそう。

 凝り固まった価値観は捨て去ろう。

 

 それで思い出す映画があった。こちら。

 

『おいしい家族』
2019/日本

 

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松本穂香主演『おいしい家族』予告編


 

あらすじはこちら。

映画監督のほか小説家としても活躍する新鋭ふくだももこ監督が、かつて自身が手がけた短編映画「父の結婚」を長編化。妻を亡くした父親が再婚するまでの親子の日々を描いた原作短編映画から、舞台を離島に移し、エピソードやキャラクターを追加して家族の絆とそれに向き合う主人公の心境をより深く描き出した。銀座のコスメショップで働く橙花は、母の三回忌に実家のある離島へ帰るが、そこでなぜか父・青治が母の服を着て生活している姿を目撃する。驚く娘を意に介さず、青治は「この人と家族になる」と居候の男性・和生を紹介する。テレビドラマ版「この世界の片隅に」やauのCMなどで注目を集める松本穂香が主人公の橙花に扮し、長編映画で初主演を飾った。父・青治役は原作短編映画でも同じ役どころを演じた板尾創路、青治のパートナーでお調子者の居候・和生を「在日ファンク」のボーカルで個性派俳優としても活躍する浜野謙太が演じる。

 引用元 映画.com

 

 ざっくり言うと、父が亡き母の代わりとなるべく、父が母となり別のおじさんと結婚するという話。(よくわからんね)

 

 父はLGBTではない。別のおじさんもLGBTではない。なんならお互い子供もいる。父は亡き母の服で女装をする。だが、女性になりたい欲求は特にない。

 

 触れたことない新しい家族の形。それが実に幸せそうで微笑ましい。そんな家族の形を否定する権利は誰にもない。

 

 USBも形を変える。どんな形でも繋がるようになる。

 家族も形を変える。どんな形でも繋がっている。

『リチャード・ジュエル(2019)』/Richard Jewellからの学び

 やるせない。と言うより憤りがある。何のことか。自分の不手際についてだ。

 

 今日カード会社から6月分の請求書が届いた。いつものように明細を確認した。新聞。携帯。Amazon primeNetflix。英会話。スーパー。

 

 いつも通りで何の問題もない。むしろ、外食が減っていることから請求金額は例年以上に少ないことに安堵した。しかし、違和感を覚えた明細があった。「ユーネクストサービス利用料 2,189円」。これまでの明細でも何度か見たような気がする。何だっけこれ。タクシーかな。これまで何回も「タクシーかな?」って思って詳細を調べなかった過去の記憶が蘇る。嫌な予感がする。ユーネクストって、U-NEXTだよな。配信サービスの。知ってるぞ、きみのことは。

 

 いやいや待て待て。全く入った記憶がない。むしろU-NEXTの配信のものは諦めてTSUTAYAにDVDを借りにいってたから。むしろ入りたかったけど金銭的に入ってなかったやつ。やばいなこれ。ホームページに勢いよくアクセスする。ログインを求められる。そうだよな。あらゆるサービスのIDとパスワードをメモしているファイルを確認する。そこにはU-NEXTはない。やはり入ってない、、よな。でもログインを試みる。いつも使っているメールアドレスとパスワードを恐る恐る打ち込む。一発でログインができる。こういう時はあっさり入れるものだ。あーやばいやばい。入ってたやつや。どうしよう。さっそく解約の手続きをする。お願いだから入会したのは最近であってくれ。月々2,189円は痛い。サービスを受けていたならまだしも、全く享受していなかったとしたら痛すぎる。お願いします。

 

 あっさりと解約手続きは完了した。そこには入会日が表示されている。2018年7月とある。もうすぐ2年だ。子供が生まれて2歳になる年月。ざっと4万円以上ををドブに捨てていることに気づいたぼくは、自身に憤りを覚え、自室の天井をただぼんやりと見上げた。見上げても何一つ世界に変化はなかった。

 

 こんばんは。身に覚えがないつながりで、本日はこちら。

 

『リチャード・ジュエル)
Richard Jewell
2019/アメリ

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映画『リチャード・ジュエル』30秒予告 2020年1月17日(金)公開

 

あらすじはこちら

アメリカン・スナイパー」の巨匠クリント・イーストウッドが、1996年のアトランタ爆破テロ事件の真実を描いたサスペンスドラマ。96年、五輪開催中のアトランタで、警備員のリチャード・ジュエルが、公園で不審なバッグを発見する。その中身は、無数の釘が仕込まれたパイプ爆弾だった。多くの人々の命を救い一時は英雄視されるジュエルだったが、その裏でFBIはジュエルを第一容疑者として捜査を開始。それを現地の新聞社とテレビ局が実名報道したことで、ジュエルを取り巻く状況は一転。FBIは徹底的な捜査を行い、メディアによる連日の加熱報道で、ジュエルの人格は全国民の前で貶められていく。そんな状況に異を唱えるべく、ジュエルと旧知の弁護士ブライアントが立ち上がる。ジュエルの母ボビも息子の無実を訴え続けるが……。主人公リチャード・ジュエルを「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」のポール・ウォルター・ハウザー、母ボビを「ミザリー」のキャシー・ベイツ、弁護士ブライアントを「スリー・ビルボード」のサム・ロックウェルがそれぞれ演じる。

引用元 映画.com

 

 一夜にして英雄となった彼。彼を自慢に思う母。しかし、自作自演という身に覚えのないことで彼はFBIから疑われ、容疑者としてマスコミに報道される。生まれて初めて得たその栄光は、たった数日にして非情にも奪い去られる。

 

 映画には様々な心の動きがある。

 夢を与える。非日常を体験する。感動し涙する。興奮に歓喜する。大切な人を想う。実話を知り、現実を考える。

 

 今作も含め、近年のクリントイーストウッド監督作品は実話ものが続いている。『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』『15時17分、パリ行き』『運び屋』。全て大きな、本当に大きな出来事でありながら、恥ずかしながらぼくはその全てを知っていたわけではない。今作も、ぼんやりと知っていた程度。子供だったから無理もない。でも大人になって何年も経つ今、子供だったことは言い訳にならない。自身の不勉強さに呆れるばかりだ。

 

 実話を知り、考えるとは、まさに今作による映画体験だ。世界で最も怖いものは人間であり、世界で最も優しいものも人間だ。正義は相対的。時にはその矛先が自分の喉元へ向かう。その時ぼくやあなたは前に進めるのだろうか。何気なく生きている現実を真正面から問い直すイーストウッドの実話作品は、コロナ禍で右往左往する今、一度腰を据えてみるのがいいかもしれない。

 

 さてこの映画による学びは以下の通りである。

  •  オスカー俳優のサンドイッチは鮮度が違う
  • お色気でネタをもらうのは万国共通
  • お偉いさんの間食は注視しておく

 

『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから(2020)』/The Half of itからの学び

 極力外出を減らしているにもかかわらず小銭入れを紛失した。出張で訪れたフランスで、尊敬するデザイナーに頂いた大事な小銭入れだ。ユニークな形に、お会計の際の話も弾む。先日は「お兄さん、面白い小銭入れ使ってるから50円割り引くよ」と店員さんに言われて嬉しかった。支払い後、入り口の看板には「13時以降のランチは50円引き」と書かれていた。時刻は13:42だった。

 

 こんばんは。

 Netflixで話題の映画を観た。こちら。

 

『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』

The Half of It

アメリ

 

 あらすじはこちら

アメフト男子に頼まれて、ラブレターを代筆することになった成績優秀なエリー。お陰で彼との友情は芽生えたけれど、彼と同じ女の子が好きな心の内はかなり複雑...。

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『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから』予告編 - Netflix

 

 Netflixが凄い。前々からよく耳にしていたが、もう本当に凄いとしか言いようがない。ぼくは映画は映画館で観たいと思っている。でももう、色んな形があっていいのだろう。次々とNetflix上の傑作に触れるうちに、そう思うようになった。新作がネット配信で公開される新しいスキームは、これからも間違いなく広がり、定着していくのだろう。

 

 本作も楽しく、面白く観れた。差別、貧困、仕事、進学、恋愛、同性愛。現代人抱える不安、怒り、情熱があらゆるシーンに散りばめられている。そして程よく品の良いユーモアと引用。これらはすべてぼくの好きな要素である。中でも引用がとても良い。

 

 『日の名残り』『カサブランカ』『フィラデルフィア物語』『ベルリン、天使の詩』『街の灯』。主人公の父が毎晩リビングで映画を観ているのだ。数々の見覚えあるシーンの登場にぼくは歓喜するほかない。このような演出は相当憎い。インテリの香りが漂ってくる。知性を感じる映画だなと思う。

 

 言葉と愛に纏わる映画だ。愛についてたくさんのヒントをもらった。記したい言葉が満載で何回も停止ボタンを押すことになった。ここに記すことはネタバレになるのだろうか。公開直後のため、さすがに控えることにする。いずれにせよ、ここに出てきた印象に残るセリフを引用することではなく、自分なりに咀嚼した上で、来るべき時に備えて引き出しにしまっておくことが肝要だ。自分の言葉で調理して提供できるように。

 

 世界が新常態に向かうこともあり、今回は文体を常態に変更してみた。敬体より書きやすい気もするが、当面は気分によって、伝えたいことによって使い分けようかなと思っている。

 

 さてこの映画による学びは以下の通りである。

  • ヤクルトはゆっくり飲む
  • タコスソーセージは発明
  • 初デートはポテト食べに行く

ネタバレを省いた結果、すべて食べ物に関することになってしまった。ただ、いずれもこの物語に確実に足跡を残した最高の飲食である。

『天国と地獄(1963)』からの学び

 自粛生活はいかがでしょうか。

 

 ぼくは仕事をしながら、いつも以上に映画に浸れる生活に、ほくほくしております(新潟にほくほく線というかわいい名称の路線がありますね)。

 

 ですが一つ不満も。それは食事です。

 

 自炊を頑張ってみたり、スーパーの惣菜を色々買ってみたり、スーパーを変えてみたり。

 

 どれもとってもおいしいのですが、毎日決められた景色の中で選ぶ食材や料理に、シンプルに飽きてしまった感じがします(もちろん働いてくださっている方々には感謝しかございません)。

 

 居酒屋が恋しいこの頃。

 はやく好きなエリアに、飲みに行ける日が来たらいいですね。

 

 さて本日はこちら。

 

『天国と地獄』
1963/日本

 

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あらすじはこちら

エド・マクベインの原作を得て、黒澤明監督が映画化した全編息づまるサスペンス。製靴会社の専務権藤の息子と間違えられて、運転手の息子が誘拐された。要求された身代金は三千万円。苦悩の末、権藤は運転手のために全財産を投げ出して三千万円を犯人に受け渡し、無事子供を救出する。非凡な知能犯の真の目的とは。鉄橋を利用した現金受け渡しのシーンは秀逸で、実際にこれを模倣した誘拐事件が発生した。また白黒作品であるにもかかわらず、最も重要なシーンで一個所のみ着色を施すなど新たな演出も印象深い。

 引用元 映画.com

 

 もうあらゆるところであらゆる人に語られてきたこの作品に、ぼくがわざわざ言うことはもはや何もないのですが。(本当に何もないと思います)

 

 これまで観ていなかった後悔とあまりの傑作ぶりに、取り上げざるをえませんでした。

 

 

 黒澤監督を代表する『羅生門』、『七人の侍』はもちろん観ました。ただ鑑賞時まだ若かったからでしょうか。たしかに最高に愉快な作品ではありましたが、白黒で時代劇で2時間越える作品となると満足感より疲労感が強く、なかなか次の作品に手が伸びなかったのが正直なところです。

 

 『天国と地獄』も、ずっとずっと観ようと思っていながら、TSUTAYAで目が合っては、

 「今日は気分じゃない」

 「来週の方が時間取れるからその時に」

 「ちょっと邦画はまた今度」

など、あらゆる言い訳を盾に、先延ばしにしておりました

 

 でもきっかけは些細なものですね。

 

 何というかこんな世界になってしまったということもあって、ディストピア系だったり、近未来SF系だったりが無性に観たくなって、Netflixで『AKIRA』を観たのです。

 

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 久しぶりに観た『AKIRA』の名作っぷりについてはここでは語りませんが、最高にほくほくした鑑賞後(またほくほく)、極めて単純に、アキラつながりで黒澤明さまを思い出しだ次第であります。

 

 幸い今なら時間もあるし(まあいつもあったのですが)、いよいよ未見の黒澤作品に挑むかと決意をした時、Instagramで時々コミュニケーションで取っている素敵な方からタイムリーに『天国と地獄』を勧められたのでありました。きっかけをどうもありがとうございます。

 

さてこの作品は、夜に観ました。

 

 夜風が涼しくなってきたにもかかわらず、手に汗どころか、鑑賞中、全身がじっとりと濡れているのがわかるのです。それぐらいの興奮度。

 

 その日は母の日でした。映画のあるシーンではこんなセリフがありました。

「今日は母の日ですか?」

たまたま母の日に観たのも、きっと何かの縁でしょう。

 

 無駄なシーンは一切なく(本当にない)、間延びすることも飽きさせることもないストーリー展開。文字通り目が離せませんでした。

 

 余りにも有名であらゆる映画や世界に影響を与えてきた、一箇所のみ色を使用する演出や、特急電車での身代金引き渡しのシーン(なんと車両を貸し切っての一発撮り)には本当に興奮しました(もう自分の鼻息が見えました)。

 

これを観ずして、映画好きを語っていたこと、本当に恥ずかしく思います。

 

さて、この映画による学びは以下の通りです。

  • 冬は寒くて眠れず、夏は暑くて眠れないのは本当に地獄
  • 花を買うようなツラがある
  • カーネーションと煙は、桃色に限る

 

 

『静かな生活(1995)』からの学び

近所のインドカレー屋さんへ行きました

こう言っては失礼ですが

どの駅にも一つはありそうな

インド人の方による

大衆的なインドカレー屋さんです

 

注文を終え ナンでカレーを楽しんでいた頃

入口で青年が聞いていました

「普通のカレーありますか?」

普通のってなんでしょうね

「フツウのカレーアリマスヨ」

店員さんは答えました

 

青年はわたしの隣の席に腰掛けます

ソーシャルディスタンスは確保されているので安心です

 

青年と店員さんが会話を交わします

「普通のカレーでお願いします」

「ドチラのセットにシマスカ?」

「普通のセットで」

「デハAランチセットデスネ」

「はいそれでお願いします」

「辛さはドウナサイマスカ?」

「2番で」

 

隣で聞き耳を立てていたぼくはメニューに目をやりました

そこにはこう書いてありました

 

1番 マイルド

2番 普通

3番 ミディアム

4番 スパイシー

5番 ホット

 

そこは普通でええやん

 

そう思いました

カレーは普通においしかったです

 

こんにちは

さて本日はこちら

 

『静かな生活』
1995/日本

 

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A quiet Life 「静かな生活」 - Teaser

 

あらすじはこちら

両親の渡航中に起こる障害者の兄と妹の、波乱に富んだ日常を描いたドラマ。原作は、94年ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎の同名の長篇。監督・脚色は「大病人」以来2年ぶりにメガホンを取った伊丹十三。主演は「毎日が夏休み」で数々の新人賞に輝いた佐伯日菜子と、「復讐の帝王」の渡部篤郎。また大江の実子・光の作曲した曲を使用したのも話題になった。

引用元 映画.com

 

伊丹十三と言えば

『お葬式』や『たんぽぽ』、『スーパーの女』などがメジャーかと思いますが

こちらもいやはや素晴らしかった

 

大江健三郎との親戚コンビによる

こちらの作品(たしかそうでしたよね)

 

原作に寄り添いつつも

伊丹十三ならではの

悲哀と美意識が詰まった一本

 

庭の排水溝をまともに掃除できない父親の哀愁

隣家から流れる旋律に耳を澄ます息子の感性

 

秀逸なシーンに差し込まれる

印象に残るセリフの数々

肩を強く叩かれるような

そんな思いで

何度も止めてメモしてしまいました

 

「なんでもない人として生きて なんでもない人として死ぬ」

「限りなくゼロに近いとことで生きてきた人は 限りなくゼロに近いところで死ぬことができる」

「死は階段を一段降りるようなもの」

「死ぬまで生きて そこから 死んでください」

「人間は人間の道具ではない」

 (若干違うとは思いますがすいません)

 

 

娘を「相当な人物」と描写するシーンが多々ありますが

この作品も「相当な作品」かと

あと若かりし渡部篤郎の名演技にも注目です

 

 

さて

この映画による学びは以下の通りです

  • 排水溝の掃除は専門家に任せる
  • 戦ったことは、ちゃんと「戦いました」と言う
  • ぼくたちの生活こそ、静かな生活

 以上